17 Oct. 2012
源泉の採掘者/星野太
ショナ・トレスコットの描く風景画には、それを見る者をたえず「歴史」へと送り返すための慎重かつ複雑な操作が内包されている。日本における彼女の最初の個展(アンドーギャラリー、2010年)で発表された約40点の絵画は、それを見る者に対して静かな驚きを与えるものだった。このたび開催されるトレスコットの二度目の個展(アンドーギャラリー、2012年)について話をはじめる前に、まずは彼女のこれまでの作品へと目を向けておくことにしよう。
トレスコットの描く風景画の多くは、人間による介入とは無縁な大地を色彩豊かに描き出した、どちらかと言えば素朴で古めかしい印象を与える。しかし同時に、その風景にはどこか人工的な印象がつきまとう。こうした両義的な印象は、おそらく次のような事実に由来している。すなわち、18世紀ヨーロッパの作品とも見紛いかねない構図を備えた彼女の風景画は、その一方で、明らかに近代絵画に特有の筆触と色彩を通過したところに成立している。つまり、トレスコットの絵画は、西洋における風景画の構図を意識的に採用しつつ、それをオリジナルとは異なる様式によって描き出したものなのだ。したがって彼女の作品は、故郷オーストラリアをはじめとする実際の自然の風景に触発されたものである一方、同時にその絵画的なスタイルにおいて、西洋の風景画というジャンルそのものを批判的に「引用」したものでもあると言える。彼女の絵画の主題は、風景であると同時に絵画(史)そのものなのだ。
ゆえに、トレスコットが自身を画家として規定するとき、その場合の「画家」とはただ眼前の光景を闇雲に描く者としての「画家」とは一線を画しているし、カンヴァスという基底材の上にマテリアルを配置する知的な制作者としての「画家」とも本質を異にしている。むしろ、この画家の特異な側面は、「いま」「ここ」において油彩画を描くという営為がもつ歴史性を正確に見据えつつ、それを無理なく自身のスタイルとして昇華しているところにこそ定位される。
そのような彼女の作品は、絵画というメディウムに対する深い洞察と、それを作品として屹立させるための技量の双方の上に成立するものである。それを、広い意味での「リサーチ」の産物と呼ぶことができるかもしれない。たとえばそれは「風景画」というジャンルについてのリサーチであり、その実質的な起源であるヨーロッパと、自身の故郷であるオーストラリアとの地理的・歴史的な「距離」についてのリサーチであり、そこから生じる自己のさまざまな「認識」についてのリサーチであり、さらにもちろん、具体的にカンヴァス上のイメージを構成するためのさまざまな「絵画的技法」についてのリサーチでもある。
以上のような予備考察は、北極圏での滞在をもとに制作されたトレスコットの近作に言及するにあたって、ある程度の「構え」を与えるためのものである。なぜなら、写真やシルクスクリーンといった多様なメディアを用いて制作された彼女の近作は、その絵画作品のみを見てきた者に対して何らかの驚きを与えずにはおかないからである。ともすれば唐突な印象を与えかねないこれらの「マルチメディア」な作品群は、彼女が遂行してきた探索的な手続きに焦点を合わせてこそ、その意味を適切に理解することができる。なぜならそれは、北極圏のある地域を対象とする複雑な「リサーチ」の産物にほかならないからである。
トレスコットは、2012年春の約一ヶ月間、北極圏のニーオーレスンに滞在している。同地は、ノルウェーのスヴァールバル諸島のなかでも最北端の北緯79度に位置する、世界最北の定住地として知られている。かつて炭鉱街として栄えたニーオーレスンは、1962年の炭鉱の閉鎖後、北極圏の気候や生態を研究する人々が集う国際的な研究拠点へとその装いを変える。そのような来歴をもつ同地に、アーティストを公に受け入れるプログラムなどもちろん存在しない。しかしトレスコットは、ある強い動機から同地への滞在を希望し、そこで約一ヶ月間のレジデンス・プログラムに従事したのである。
その動機とは、北極圏に位置するがゆえの特殊な気候風土のみならず、同地がこれまでに辿ってきた数奇な運命に対する強い関心である。前述のように、ニーオーレスンは19世紀末に石炭の採掘を目的に開発されたものの、60年代初頭に生じた事故が原因で閉鎖されたという陰惨な過去に支配されている。それにより半ば「ゴーストタウン」化したニーオーレスンは、しかしその数年後、今度は極地研究のための世界的な拠点として新たな歴史を歩み始めたのである。つまり同地は、たんに北極圏という地理的に特殊な場所に位置する街であるのみならず、歴史的にもきわめて特殊な背景をもった街なのだ。
トレスコットがこの滞在制作を通じて試みたのは、複雑に絡み合う同地の地理的/歴史的な地層の「採掘(mining)」である。そのさい、絵画、写真、シルクスクリーンといったメディアは、ニーオーレスンという場に堆積されてきた「過去」と「現在」、「光」と「影」、あるいは「自然」と「文明」をさまざまな仕方で掘り返し、提示していくための有効な方策となる。
絵画の場合、そこにはおおむね二つの方向性がみとめられるだろう。ひとつは、彼女の風景画を特徴づける筆触と色彩とによって描かれた《What Lies Beneath》のシリーズであり、もうひとつは、ほぼ単一の色調によって描かれた《Black Carbon》のシリーズである(いずれもカンヴァスに油彩)。両者はその色調において好対照をなしているが、それらと比べてやや小サイズの《79 degrees North》と《Upon Clouded Hills》にも先の対照関係が同じく当てはまる。それぞれ同サイズのカンヴァスに描かれたこれら2×2組のシリーズは、いずれも北極圏の風景を主題としていながら、それぞれまったく異なる側面からニーオーレスンの風景を描き出している。ある側面から見れば、それらは日中に顔をのぞかせる美しい青空と、それを覆い隠す淀んだ曇り空にそれぞれ対応していると考えられるかもしれない。あるいはまた、両者はそれぞれ北極圏の自然の美しさと、その厳しさを別々の仕方で切り取った作品であると考えることもできる。いずれにしても、ごく短い時期に集中的に制作されたこれらの絵画は、かなり具象的な風景に傾いたものから、反対にほとんど抽象絵画のような荒々しさをもったものまで、様式的にはさまざまなヴァリエーションを保持している。
こうした対照のリズムはまた、今回はじめて発表された《Remembrance of Things Past》という写真のシリーズにも、やはり同じく見いだすことができる。同作では、モノクロームとカラーの写真がそれぞれ交互に展示されており、そこでは汽車や山小屋といった人工物や、雪や氷に覆われた北極圏の景色がそれぞれ異なる仕方で写し取られている。他方、シルクスクリーンを用いた《Kyoto Protocol》では、作品間の対照関係ではなく、文字(英語で書かれた京都議定書)とイメージ(不穏なモノクロームの風景)が、同一の平面上での緊張関係を作り上げている。
繰り返すように、トレスコットの近作において試みられているのは、こうしたさまざまなメディアを用いた一種の「リサーチ」であると捉えるべきだろう。「リサーチ」である以上、その表現形態はある程度まで離散的なものにならざるをえず、なかには荒削りな部分も残される。今回、二点のみ発表された《And Then One Day》は、北極の自然光とは異なる「人工の光」を被写体としたものだが、同作はいまだその着想の端緒についたばかりのものであるように思われる。いずれにしても、ここではニーオーレスンが乱反射する多様体のように見立てられ、言わばその自然/文化的な地層の数々が「採掘」されているのである。
奇しくも、「近代の深層」(The Deep of the Modern)を主題に掲げた今年のマニフェスタ9は、ニーオーレスンと同じくかつての炭鉱地であるベルギーのリンブルフ地方(ヘンク)で開催された。今回のマニフェスタのキュレーターであるコーテモック・メディーナは、しばしば観念的な言葉によって語られがちな「近代」という時代の「深層」──すなわち、それを駆動するエネルギーをたえず私たちの文明に供給してきた「炭鉱街」──に目を向けたのである。そこでは、石炭という天然資源がもつ物質としての側面と、それによって栄え、時に翻弄されてきた炭鉱街の歴史が、周到なプランとリサーチによって入念に織り合わせられていた。
ショナ・トレスコットのリサーチは、まさしくそれと時期を同じくして遂行されている。その規模やアプローチは異なるとはいえ、「石炭」という天然資源と、それとともに歩みを進めてきた「炭鉱街」をめぐるリサーチが、ヨーロッパで同時的になされたことは極めて興味深い徴候だと言えるだろう。重要なのは、ヘンクと同じく、ニーオーレスンという街もまた、厳しくも無垢な「自然」に囲まれた街であるだけでなく、先に述べたような複雑な文化的背景を背負った街でもあるということだ。そのような条件下でなされる採掘は、自然(nature)/文化(culture)といった対立を超えたところでなされる必要がある。トレスコットのリサーチもまた、自然/文化という、ともすれば自明なものと受け取られがちな二つの異なる地層が交差するところで遂行されている。それは、私たちの日常に遍在する天然資源(resource)を下部構造とする、近代という時代の源泉(source)を掘り返すための試みなのだ。