19 Nov. 2014

エクソトロピア──舟越桂のドローイング/星野太

比較的よく知られているように、そのキャリアの当初から、舟越桂は彫刻作品と平行してドローイングによる平面作品を継続的に発表してきた。舟越の平面作品が近年まとまって展示された機会としては、2008年の「夏の邸宅」(東京都庭園美術館)をまずは挙げることができるだろう。そこでは、水彩や色鉛筆による数多くのドローイングを通じて、彫刻家として知られるこの作家の平面作品がもつ豊かさが、緊張感のある彫刻および空間とともに鑑賞者に強く印象づけられていた[註1]。

他方、2014年の春にアンドーギャラリーで開催された舟越の個展は、いずれも同年に制作された11点の新作ドローイング「のみ」によって構成されていた。しかも、そのさい展示されていた作品はいずれも、前述のような色彩豊かな作品群とは趣を異にする単色のドローイングばかりなのである。

ごく大掴みに言えば、ドローイング(drawing)と呼ばれる制作行為は、時に重なり合い、時に相反する二つの性格を兼ね備えている。(1)まず、一般的な通念にしたがえば、それは最終的に絵画や彫刻として仕上げられるべき作品の「途上」に位置するものである。この第一の意味で理解した場合、制作においてドローイングが占める役割は来たるべき作品の「下絵」や「構想」に近いものとなり、ゆえにそれは完成した作品に対して従属的な地位にとどまり続けることになるだろう。(2)とはいえ以上の事実は、個々のドローイングが独立した作品とみなされる権利を完全に剥奪してしまうわけではない。事実、ある種のドローイングは、来たるべき作品の「下絵」や「構想」にとどまるものではなく(あるいはそのような側面があるにせよ)、それ自体がひとつの作品として扱われるに足る「質」──と呼ぶほかない何か──を確かに備えている。(ただし以上の二つの側面が、個々のドローイングがもつ内在的な性向によってアプリオリに区別されるのではなく、場合によってはその目的や提示の仕方に応じて区別されるものであることも、念のため付言しておく必要があるだろう。)

以上の二つの側面は、舟越のドローイングにも同じく見いだすことができる。(1)まず、舟越のドローイングが、最終的に彫刻へと至る一連の制作プロセスの途上に位置していることは明らかだ。最終的に木彫という姿をとる舟越の作品が、多くの断片的なスケッチやメモの累積的なプロセスの果てに立ち現れるものであることは、作家自身の証言などからもよく知られている。なかでも、二次元の平面上に描かれたほぼ等身大のドローイングは、作品を最終的に木彫として現出せしめる上で欠かすことのできない要素のひとつだろう。この意味で、舟越のドローイングは、その彫刻に対してさしあたり従属的な位置を占めていると言える[註2]。(2)だが、同時に以上の事実は、舟越のドローイングを独立した作品とみなすことを妨げるものでは決してない。もし、仮にそれらが最終的に作品を完成させるためのエスキスにすぎないのだとしたら、その(部分的な)設計図たるドローイングは、作品が完成した瞬間にすぐさま不要なものとなるだろう。だが、しばしば完成した彫刻とともに、あるいは彫刻を伴わずに単独で展示される舟越のドローイングは、そのひとつひとつが独立した「作品」であるということをわれわれにまざまざと伝えている。

とはいえ、舟越の彫刻がわれわれに与える際立った印象のために、そのドローイングは従来もっぱら従属的な──すなわち上の(1)に相当する──ものとして理解されてきたように思われる。言いかえれば、舟越のドローイングは、これまで主に彫刻を完成へと導くための仮設的な足場としてのみ理解され、それじたいがもつ特異性、ないしそれが彫刻作品とのあいだに結ぶ緊張関係は、批評的にはほとんど無視されてきたように思われるのだ(おそらく版画についても似たような事情があると思われるが、それについてはひとまず措くことにする)[註3]。そこで試みに、本稿ではもっぱら舟越桂のドローイングに「のみ」照準を合わせつつ、それらが彫刻作品とのあいだに結ぶ関係の様相を具体的に抽出してみることにしたい。

今回アンドーギャラリーで発表された11点のドローイングは、いずれも一辺90cmから100cm程度のやや縦長の紙に描かれている。おそらく、そこに描かれている人物の独特な表情やプロポーションから、われわれはすぐさま舟越の彫刻作品を特徴づけるいくつかの要素を想起することになるだろう。舟越の彫刻を見たことのある者なら誰しも、その人体像がもつ顕著な特徴を多かれ少なかれ記憶に留めているはずだ。したがって、舟越のドローイングを見るという経験のうちには、この時点ですでに一種のアナクロニズムが内包されている。舟越の作品を生成論的に辿ろうとする視点からすれば、われわれの眼前にあるドローイングは、当然その彫刻作品の「前」に位置づけられることになる。しかし実際には、われわれは完成した舟越の彫刻を「通して」目の前のドローイングを見ているのだ。これを次のように言いかえても良いだろう──われわれの眼前には、時系列的には彫刻の「前」に描かれたドローイングが与えられている。だがそのドローイングは、彫刻に対して時間的に先行しているにもかかわらず、ほぼ例外なく彫刻の「後」に鑑賞者のもとへと立ち現れるのである。

そのような状況であってみれば、それを見る鑑賞者の視線がさきほど整理した第一の立場に接近していくのも、なかばやむを得ないことであると言えるだろう。舟越桂の彫刻が大文字の「作品」として存在しつづけるかぎり、版画やドローイングといったそれ以外の作品が、彫刻に対するサブテクストとしてその周辺に位置づけられていくのは、むしろごく当然の帰結である。実際、舟越がまずもって彫刻家であることは紛れもない事実なのであり、そのドローイングが制作の途上でもたらされる二次的な産物だと見なされるということも、取り立てて特筆する必要もない、ごく自然な理解であると言うべきかもしれない。

しかしその一方で、舟越のドローイングをそれ自体として眺めてみるとき、そこには後の彫刻作品には決して還元されない──というより、彫刻作品との関係においてこそ注目すべき──重要な表徴が存在する。それが「眼」である。

あらためて指摘するまでもなく、舟越の彫刻作品において、眼はとりわけ際立ったパーツのひとつである。ほぼ例外なくクスノキを素材として制作を行なう舟越は、例外的に、彫刻の眼の部分にだけ大理石を用いている。これは、ごく早い段階から一貫して見られる舟越の彫刻の最大の特徴であり、その作品がわれわれに与える印象の大部分は、その眼によって規定されていると言っても過言ではない。これ以外にも、舟越の彫刻には「木彫」「彩色」「着衣」といった複数の形式的特徴が指摘できるが、なかでもその眼は、舟越の大部分の彫刻作品において突出した存在感を放っている。

そして、この眼の存在が、舟越のドローイングを見るわれわれの眼にとってもきわめて重要な意味を帯びてくる。まず単純な事実として指摘できるのは、クスノキと際立った対照をなす大理石の物質性が、メディウムの性質上、ドローイングにおいては完全に失われているということだ。鉛筆によるシンプルな描線と陰影からなる舟越のドローイングにおいて、彫刻において実現される眼の物質性を際立たせるような操作を施すことは原理的に不可能である。もちろん、舟越の作品を特徴づける独特な眼の佇まいは、ドローイングにもかなり近い仕方で定着されている。その人物たちの眼はつねにどこか遠くを見据えており、その結果として、外斜視のひとが湛えるような奇妙な距離感をこちら側に差し向ける。あるいはそれもまた、舟越の彫刻を見てきたわれわれの眼に映し出される事後的な効果のひとつにすぎないのかもしれない。しかしいずれにせよ、ここで重要なのは、舟越の彫刻を物質的に際立たせているこの眼が、ドローイングにおいては他の身体のパーツとともに、描線による表現の範囲にとどまっているという事実である。

この、きわめて当たり前のようにも思える指摘が重要な意味を帯びてくるのは、次のような事態においてである。舟越の近作においては、人間の双眼のやや上、すなわち通常であれば眉に相当する部分に、新たに二つの「余分な眼」が現れている。これは、やはり2014年に西村画廊で発表された彫刻作品──《不思議な森》──に実質的にはじめて出現したものであると思われる[註4]。ところが、その完成した彫刻を見ると、この奇妙な眼は通常の眼と同じ大理石ではなく、線描によって表現されていることがわかる。つまり、四つの眼をもったこの新たな彫像においても、大理石の眼はやはり二つのままであり、そこに付け足された二つの奇妙な眼は鉛筆による線描であるという点で、前者の──通常/本来の?──眼とは明瞭に区別されている[註5]。この点に着目するなら、通常の眉の位置に現れたこれら二つの眼は、本来の双眼と同じステータスを与えられているわけではなく、四肢や性器のアノマリーな変貌とともに、近年の舟越の作品を特徴づける「身体の変容」の一部をなしていると考えるべきだろう。

1990年代より、舟越はしばしば周囲から「異形」と形容される人体像のシリーズを発表しはじめる。具体的に挙げると、通常の顔に加えて後頭部にもうひとつの小さな顔をもつ《肩で眠る月》(1996)、あるいは、肩の部分から天使の羽根のように生えた手が特徴的な《水に映る月蝕》(2003)などがそれである。また、《戦争をみるスフィンクス》(2005)や《森に浮くスフィンクス》(2006)のような「スフィンクス」シリーズも、近年の舟越の仕事においてますます存在感を増している。80年代より舟越が手がけてきた写実的な半身像と、これら異形の彫像が必ずしも断絶した関係にないことは、過去のインタビューなどにおいても繰り返し強調されている。そして、しばしば両性具有的な存在として描かれる「スフィンクス」のような人体像がドローイングを通じて出現したものであることも、同じくこれまでの舟越の証言からうかがい知ることができる[註6]。

先にも述べたように、主に伝統的な絵画や彫刻の分野において、ドローイングは作品の完成に資するたんなる予備作業と見なされることが少なくなかった。先に「下絵」や「構想」とパラフレーズしたような意味でのドローイングがそれに相当する。だが、同時にそれは、来たるべき作品を方向づけ、ある意味ではそれを予定調和的な完成から逸脱させる役割を担っているとも言えるだろう(よってこの文脈ではむしろ、「デッサン」──線描/構想──という言葉の方が、以上のニュアンスを精確に反映しているかもしれない)。「スフィンクス」のような人物像が、ドローイングの制作を通じて──なかば作家の意図を越えた仕方で──生み出されたというエピソードは、ドローイングが持つこのような力を示す顕著な事例のひとつである。

問題は、ドローイングにおいて示されるこのような逸脱を、われわれ観者がどのように見なすかということである。ここで問題は当初の二つの方向へと立ち戻る。もしそれが、彫刻として実現された作品のエスキスにすぎないのだとしたら、このドローイングは制作の途上で獲得された副産物の域を出ることはない。しかし同時に舟越のドローイングは、彫刻においては消えてしまうほかない(身体の)生成の萌芽をその内にとどめており、その意味でこれを──彫刻とならぶ──実現された「作品」として捉えることは決して不当なことではない。たとえば先に見たような奇妙な眼は、ひとたび彫刻として実現されれば、元の二つの眼とは決定的な仕方で──すなわち前者は描線/後者は大理石として──分かたれてしまう。ゆえに、この新たな眼が立ち現れる瞬間の萌芽や、それらと本来の双眼との非弁別性を表現しようとするのであれば、むしろドローイングという手段こそが、それを彫刻よりも精確に実現しうる媒体だと言えるのではないだろうか。

ここまでの考察がドローイングをめぐる一般論に回収しうるものではないことを、最後に今いちど強調しておかねばならない。ここまで本稿は、ごく最近になって舟越の作品に現れた奇妙な眼にもっぱら注意を払ってきた。先にも述べたように、それは舟越の彫刻に唯一無二の印象を付与する「大理石の眼」とは異なる仕方で、すなわち「描かれた眼」として、彫刻作品の中に現われている。これは、ある意味で、ひとが「異形」と呼ぶスフィンクスたちよりも遥かに大きな変容のしるしとして捉えることもできるだろう。なぜなら、スフィンクスたちの身体の変容が(ドローイングにとどまらず)後の彫刻作品においてこそ十全な仕方で実現されているのに対し、この「描かれた眼」は、むしろ彫刻に対するドローイングの侵食とでも呼ぶべき事態を引き起こしているからだ。舟越の彫刻において特権的な位置を占める「大理石の眼」に対して、それとはまったく異なる水準の眼──すなわち「描かれた眼」──をその傍らに導き入れることは、その彫刻に以前とはまったく異なる性格を付与することになる。つまり、ここでは彫刻に対するドローイングの侵食によって、それ以前の舟越の作品とは異なる編成が生じているということだ。ドローイングというものが、作品の手前で、それを方向づけつつ逸脱させるような力をもったものであることはすでに見た。それに加え、舟越はここでドローイング「そのもの」を彫刻へと導き入れるのだ。

かくして、彫刻はドローイングによってみずからの外部へと拡張され、それが彫刻として完成を遂げることによって、また新たなドローイングが生み出されることになるだろう。このような絶え間ない運動、絶え間なく外側へと向かう激的な運動こそが、ともすれば静謐な印象のみに回収されがちな舟越の彫刻の背後で生じていることである。とはいえ、つねにみずからを外部へと開いていくラディカルな運動が、表面上はごく静かな姿で現れるということを、舟越の彫刻はかねてよりわれわれに見せていたのではないか。舟越の作品の代名詞とも言える「エクソトロピア」──字義的には「外側への転回(exo-tropia)」の謂いである深遠なまなざし、すなわち「外斜視(exotropia)」のまなざしによって。

(註1)次の作品集を参照のこと。『舟越桂 夏の邸宅』(求龍堂、2008年)

(註2)舟越の制作メモについては、次の書籍にその一端を垣間見ることができる。舟越桂『個人はみな絶滅危惧種という存在』(集英社、2011年)。また、「設計図」としてのドローイングの役割については、たとえば次のインタビューを参照のこと。「時間の中に立ちつくす人の情景」(インタビュー/安東孝一)『舟越桂全版画1987-2002』青幻舎、2003年、135ページ。

なお、2014年7月に筆者が行なった舟越桂へのインタビューによれば、制作前に等身大かそれに近いサイズのドローイングを描く理由は、舟越がもっぱらクスノキを素材とする木彫を行なっていることと深く関係しているという。つまりこの種のドローイングは、やり直しのきかない木彫の制作をスムーズに行なうための、文字通りの設計図のような役割を担っている。

(註3)とはいえ、舟越桂の版画についてはすでに次のような資料および考察が存在する。『舟越桂全版画1987-2002』青幻舎、2003年、『舟越桂 夏の邸宅──アール・デコ空間と彫刻、ドローイング、版画』東京都庭園美術館、2008年(展覧会カタログ)。

(註4)2014年7月に筆者が行なった舟越桂へのインタビューによれば、(眼も含めて)異なる人物の顔を重ねたドローイングはそれ以前からも制作されていた。だが今回出品されたドローイングのように、複数の作品にまたがってほぼ同じ位置に似たような「眼」が現れるのは今回が初めてである。

(註5)2014年7月に筆者が行なった舟越桂へのインタビューによれば、このような処理がなされた背景にはより現実的な事情もあるようだ。すなわち、比較的近い位置に四つの大理石の眼をはめ込むことは、クスノキの強度上、かなりの困難を極める。それが、同作における二つの「新たな眼」を描線によって表現している一因となっていることも確かなようである。

(註6)たとえば次のインタビューなどを参照のこと。「舟越桂へのインタビュー」『ヤン・ファーブル×舟越桂』淡交社、2010年、117ページ。